未来人材 Interview4

未来人材 Interview4

Keisuke Toyoda

noiz


豊田 啓介

1972年、千葉県出身。96年、東京大学工学部建築学科卒業。96-00年、安藤忠雄建築研究所を経て、02年コロンビア大学建築学部修士課程(AAD)修了。02-06年、SHoP Architects(ニューヨーク)を経て、2007年より東京と台北をベースに建築デザイン事務所noizを蔡佳萱と共同主催(2016年より酒井康介もパートナー)。コンピューテーショナルデザインを積極的に取り入れた設計・製作・研究・コンサルティング等の活動を、建築からプロダクト、都市、ファッションなど、多分野横断型で展開している。現在、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、東京芸術大学アートメディアセンター非常勤講師、東京大学建築学科デジタルデザインスタジオ講師、慶應義塾大学SFC非常勤講師。

「遊び」を評価する

建築にコンピューティショナルの技術を取り入れた経緯ですが、元々は建築家なので手書きで設計をしていました。デジタルが専門分野ではないのですが、絶対にコンピューターで出来るな、という発想はありました。また、昔働いていた安藤事務所ではディティールに物凄くこだわりがあり、とてもロジカルに物事を考えます。昔の作品からなぜこれはこうなのか、と読み解く練習は散々してきました。結果から紐解いていきます。そこには学問のような明確な論理性がありそうでないし、なさそうである。曖昧なものを許容しつつ、全体としての良いものを最終的にどう造るか、という事をデザイナーとして考えてきました。それが今デジタルな事をやるときに活きてきているように感じます。また、企業の方から、「新しい技術を取り入れるにはどうしたらいいですか」「人材を育てる環境がないのですがどうしたらいいですか」、など質問を受けることがありますが、「遊び」を評価するという感覚を持つことが大事だと答えます。私自身もプログラミングを取り入れたらどうなるかと、まず「遊んでみる」ことから始めました。世の中が安定している時というのは、過去の成功になぞらえて少しブラッシュアップしていけばいいと思うのですが、現在のように、技術や社会的な価値の根本が大きく変革している時は地図がないわけですから、とにかく沢山失敗をして布石を打つことが大事だと思います。ですが、気軽に失敗をしてラフな全体像を捉える、ということを実践するのが多くの日本の企業では難しい、という印象です。ただ単に、「失敗しなさい」と上の人が言って失敗をするというのも難しいと思います。もちろん会社なので売り上げを上げなければいけない。ですから、上の人が言ってあげるべきなのは「遊べ」ということです。評価軸が固まっていない領域でまず遊んでみて、それが楽しければ成果ですし、楽しくなければ失敗だ、というシンプルでポジティブな挑戦です。正解が決まっていない事をとにかくやってみる。そうしているうちにそれが布石になっていくのだと思います。そしてその「遊び」という挑戦をしていることに対して会社はしかめ面をするのではなく、面白いね、という雰囲気を作ることが大事だと思います。NYの会社では、その「遊び」に明確な投資が行われていました。例えば新しいソフトウェアがあったとします。そしたらこのソフトウェアを使って、二ヶ月間何をしてもいいから使い倒せと言われます。そして二ヶ月後にヒヤリングをして使えるかどうかを判断します。はたから見たら二ヶ月間ただ遊んでいるだけですが、長い目で見たらそれが圧倒的な戦闘力になってきます。

全ての人が持っている可能性

今回のテーマである「未来人材」という言葉を聞いて感じたのは、全ての人の中にいろんな形で持っている可能性のことだと思いました。そして周りがやるべきことは、その可能性を引き出せる環境作りをすることです。外から「未来人材」というものがやってくるわけではなく、既に周りにあるし、自分の中にもあるが顕在化していないものをどうはじかせてあげるか、ということだと思います。「未来人材」と聞くといわゆるスーパースター、さまざまなマルチなスキルを兼ね備えた完璧な人物像のように聞こえますが、私が思う素晴らしい方というのは、その当人は普通に普通のことをしていると思っています。特別なことをやっているつもりもない。周りから見ても特段分かるわけではなく、見る人がみれば「物凄いことをやっているな」となりますが、初めから特別視する必要はないのではないかと感じます。どこか特殊なエリアだけで積み重ねているうちに、いつの間にか周りと違う技術なり視点なり世界観を持っていく、という日常の積み重ねだと思います。また、全ての人が持っている可能性が表に出てくるかどうかは、様々な社会の制約中、なかなか踏み出せない最初の一歩を気軽に踏み出せるかどうかの違いなのかもしれません。そして評価のあり方についても考え直すべきだと感じます。日本の特殊なところは、時代背景もあると思います。戦後、高度経済成長期に入り、全領域が右肩上がりで成功して、社会が作られてきました。正解が1つで共通認識でした。しかし現在では日本国内だけで完結することはなく、世界とシンクロしてきています。そんな中、高度成長期の成功というのは当てはまらないのに、その成功体験に引きずられてしまっているのではないかと思います。評価軸自体が過去の評価軸で、今ある可能性に気づけていないだけなのではないかと思います。